こんにちは pataです
心が弱い人って本当は
自分に厳しすぎる人かもしれない
心の強い人、弱い人
私の近くに
心強過ぎな人がいる。
この人と自分の違いはなんだろうって
ずっと考えていた。
そこでわかったのは
その人は何をするにも
「完璧」を求めていない
ということ。
完璧なんて存在しないと
理解していること。
今自分にできることを
自分のペースで取り組んで
足りないものを補充して
結果を急がない人。
失敗も想定内。
落ち込むことより
なぜうまくいかなかったかを
考えて、改善を繰り返す。
それに比べて私は
最初に
「完璧な形、あり方」をイメージして
それに向けて努力する。
働くとは
嫁とは
母親とは
人として
こんなふうに問いを立てて
「こうあるべき」というところを
強くイメージする癖がある。
だから、
できなかった自分を責めて
今日頑張れなかったことを悔やんで
いつだって
有意義に過ごすことを目標に
自分に厳しく鞭を打ち続けた。
休んじゃいけない
怠けちゃいけない
だらだら過ごしちゃいけない
時間は有限!ってね。
そんなことばかり続けたら
誰だって崩壊する。
ロボットじゃないんだから。
気力も体力も限界があるのに
そういう時って
疲れた、辛い、もう無理って
口に出しちゃいけないと思っていた。
自分が嫌いな人から教わること
完璧主義が発動している時って
嫌だなと思う人も
こんな感じだった。
仕事を適当にやっている人
授業参観で、子供そっちのけで
ママ友とお喋りしている人
いつもお惣菜や
インスタント食品で
家族の食事を用意する人
家の中が散らかって
だらしない暮らしをしている人
人の粗探しばかりで
自分は努力しない人
これはみんな
私の中で勝手に作った
「こうあるべき」から外れた人だ。
自分が正しくて
その人たちがダメなのではない。
今思うと
完璧を目指して頑張っている私より
その人たちの方がはるかに
楽しそうに生きていた。
今日は疲れたから
ご飯はこれでいいか、とか
掃除は週末にするからいいや、とか
何ていうか
甘やかし上手なんだね。
甘やかせない自分は
ついつい、私はこんなに頑張ってるのにって
そうじゃない人を見て、腹立たしく思う。
まとめ
学生時代にスポーツをやっていたり
何かに取り組んだ人は
「一日休むと三日戻る」って
言われたことがないだろうか。
今思うと
この呪いの言葉が
あり得ない「根性論」を
育ててしまうのかもしれない。
「頑張ることが正義」に
なってしまうのかもしれない。
一位になること
優勝すること
人より優れていること
だけが評価されることだと
思ってしまうのかもしれない。
今頃になってやっと
「弱いんじゃなかった」と気づいた。
勝手に思い込んできたことを
手放せばいいとわかった。
心が強い人を見て
なんて柔軟な考え方をするんだろうと思う。
疲れたら休む
疲れた状態からいいものは生まれない
ちゃんと元気をチャージしないとね
約束の時間に遅れそうになっても
無理な運転はしない。
「そんなの、謝ればいいよ」ってね。
「うまくいくことより
いかない方が多くて当たり前だよ」
「失敗は学びの宝庫だからね」
こんな言葉を聞いて
私は心がスーッと楽になった。
ちゃんと結果を出している人は
幸せそうに見える人は
自分を緩めるのが上手な人
今、あなたが弱い自分を強くしたいと
思っているなら
この記事をちょっと参考にしてみてくださいね。
きっと自分が思うほど
あなたは弱くないはずだから。
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