言葉は使い方次第で暴力になる

備忘録
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こんにちは pataです

同じことを伝えるとしても

どんな言葉を選ぶかで

受け手の印象は全然違うもの。

過去に受け取った言葉から

自分が傷ついた経験を振り返りまとめました。

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否定から始まる言葉

否定する言葉って辛くないですか?

「どうしてそうなっちゃうの」

「大変なことをしてくれたね」

「これ、どうするつもり?」

「だめだめだめ!これはね」

「こんなことも知らないの?」


何かを人に教える時、伝える時

こんな前置きをしてくる人がいる。

本人は口癖のようになっていて、

深く考えているわけじゃない。


でも言われた私は

ものすごく追い詰められる。

その人が近くにいるだけで

監視されているような感覚になる。


追い詰められると

過度に緊張するから

さらに落ち着いて行動できなくなる。

いや、頭が真っ白になることも多い。

私という人間が全否定されたような気持ちになる。

”失敗を許さない”社会

とても窮屈で生きづらい。

本当は、失敗から学べることがたくさんあるのに。

”完璧な人”など存在しないのに。

〜するべき、〜してはいけないの呪縛

この表現を使う人から感じられるものは

その人の考えに従わせようという意図。

人をコントロールしたい

自分の思い通りに動かしたい

自分の支配下におきたい



私は束縛されるのが苦手。

人から何かを強要されたり、

強制的に動かされるのが苦手。



でも何にでも反発するわけじゃない。

ちゃんとすべき理由があって

それを自分が理解して納得できたら

むしろ素直に受け入れられる。

嫌いな人が言うことだって

その通りだと思えたら

従うこともできる。

”すべき、しなければいけない”って

他の選択肢がなくて

窮屈に感じる。

自分の考え、行動は

もっと自由で

いろんな方向に広がれる可能性がある方がいい。

例え違ったとしても

自由に方向転換できた方がいい。

自分が自分に向ける言葉

人から強制されるのを嫌だと思うくせに

自己否定が始まると

自分に対しても同じことをしてしまう。


こうあるべき、こうしてはいけない

こんなふうに今の自分はだめだから

こうやって強制的に変えようとしてしまう。

そこで頭に浮かぶ人間像は

たいてい、”完璧な人”

そうじゃない自分は”だめな人”

完璧なんて存在しないと

何度言い聞かせても

ついこの完璧主義が発動してしまう。

ただ、それは見方を変えると

向上心を持っているとも言える。

人間にもともと備わっている”成長欲求”だ。

だから、〜べきでがんじがらめにしないように

気をつけたい。

まとめ

言葉には力がある

否定形や強制力を含んだ言葉は

時に相手を傷つけ、追い詰める。

自分が自分に向ける言葉も同じこと。

どんどん自分を否定して

追い詰めて

生きる意味さえ見失う危険もある。

だから言葉を丁寧に扱おう。

暖かい言葉は

誰かを救うことだってできる。

自分で自分を元気にすることもできるからね。

否定的な言葉を受け取ったら

少し時間をおいて

自分の中で肯定的に変換してみよう。

相手の人間性や人格は変えられないから。

悪意をもってそうしてくる人は別だけど

そうじゃない場合もある。

指導しなければという使命感から

伝えていると思えたら

その場で受けたショックも

前向きに変換できるからね。

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