みんな心の声を持っている

人間関係
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こんにちは pataです

私は表面に出ている自分と

内面の自分がいつも違っている。

それを「心の声」と表現することが多い。

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意見がないわけじゃない


幼い頃から

自分の感情に蓋をして

人と接してきたから

今でも自然とそうなっている。



「どう思っているか話して」

「ちゃんと言ってくれないとわからない」

人から何度も言われた言葉。



言いたいことが言えない

ではなく

言いたいことは言わない

ようにしてきた。



臆病ではなく

本当は気が強いかもしれない。


人をよく観察しているから

いざ思ったことを口にすると

「鋭い指摘」になってしまう。



誰だって

言われたくないことがある。

完璧な人などいないのだから

みんな弱点を持っている。



よく母から言われたのは

正しさと間違いについてだ。

間違いを指摘するときには

相手を追いつめちゃいけない。

ちゃんとその人の逃げ道も

少し作ってあげなさいと。



子育てを例に挙げると

母親が子供を叱っているなら

父親は一緒に叱らないこと。

二人がかりで叱られたら

その子は行き場がなくなってしまうから。

心の声の行き先は


大人になるまで

心の声を出したほうがいいときと

出さないほうがいいという

さじ加減がわからなかった。


だから

全部出さないようにしていた。


大学生の時

年下のいとこに

「pataは喜怒哀楽がないよね」って

言われたことがある。


嬉しいも悲しいも

驚きも面白いも怒りも

全く表に出ていないと。



他の人の目に映る自分は

きっと能面のように

見えたのかもしれない。


特に親戚の集まりでは

母親の目があるから

そう振る舞っていた記憶がある。



なんとも不器用な生き方だけどね。



自分の本心(心の声)は

毎日ノートに綴っていた。

この場面で

私はこう思った、こう感じたと

嬉しいも怒りも悲しみも

聞いてくれるのは自分だった。

大人の自分は


大人になっても

いろいろなことがあったけど

心の声の出し方は

自分なりに少し確立できてきた。



嬉しい、楽しいは

そのまま態度や言葉に出していい。

ありがとうの気持ちは

惜しみなく伝える。



怒りの感情は2種類あって

自分のことは出さない。

出さないけど

どんなことに腹が立ったのか

何が嫌だったのか

どうだといいのか

分析はしているみたい。



自分が感じる不快や不満の中にこそ

本来自分がどうありたいか

どうなりたいかが隠れているって

何かの本で読んだから。



もう一つの怒り


大事な人がひどい目にあった時

誰かに悪く言われた時は

その人を助けるために

その人を守るために

ちゃんと出すことにしている。


普段「怒り」と無縁の人のように

思われているから

いざ「心の声」全開で

話し出すととても怖いらしい。

まとめ


言いたいことは

言ったほうがいいという人もいる。

言いたいことを言えない人だっている。


どちらも悪くないはず。

正しいとか間違っているとか

思わなくていいと思う。


場面によって

言ったほうがいい時と

そうじゃない時があるから。

うまく使い分けれる人は少ないはず。


自分が無理しないことが一番だよね。

私が人を見て思うのは

感情を出さないと決めている人は表情に出ない。

でも出したいのに出せない人は

ちゃんと表情に心の様子が出ている。


「言えない」と思っている人でも

本当は言わないを選んでいることもある。

言わないって

相手を思いやる優しさだから。


私だって

言いたい放題で

注意されたり、失敗したから

ひとまず全部、封印してみた。

その後

試行錯誤しながら

今はこんな感じになっている。

注意する点は

心の声を封印しすぎると

自分の喜びも楽しさも

怒りも感じにくくなってしまう。

感情を出すこいう行動を

当事者に向けなくても

SNSで発信したり

自分だけのノートに書いてみたり

自分だけの喜怒哀楽を

粗末に扱わないで欲しい。


ちゃんと感じて

ちゃんと受け止めてあげて欲しい。


人との関わり方のように見えて

実は

自分の心との向き合い方だと思うからね。

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