足りないという不安は人を不幸にする

考え方
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こんにちは pataです

自分がどんな時、不安を感じるか

振り返ってみると

「不足」という言葉が真っ先に浮かんだ。

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足りないということ

一言で「足りない」と言っても

どんな場面でそう感じるかは人それぞれ違う。


小心者の私は

これまでたくさんの

足りないに振り回されてきた。


日常では

コーヒーがもう少しでなくなるとか

毎朝飲んでいる豆乳、

毎日食べているバナナ、パンなど。

北海道に住んでいるので

冬になると暖房が必須。

灯油の不足がいつも気になる。


日用品も残り少なくなると

買い足すまでなんとなく落ち着かない。


側から見れば

「そんなことで不安なの?」って

笑われるかもしれない。

でも私は減っていくこと

足りなくなることに

人一倍、不安を感じてしまうんだ。


生きていくためには

お金が必要だ。

お金の不足は、

過去最大の不安だったかもしれない。


子供の頃、考えたこともなかったのに

大学進学を機に親元を離れた時から

小さな不足に対する不安と共に

生きてきたような気がする。

足りない不安の裏にあるもの

これはもう

「我慢が苦手」に尽きる。

両親と一緒に暮らしていた頃、

特別贅沢をしたわけじゃないけれど

「今は無いから、これで我慢してね」

こういう状況を体験してこなかった。


親が「必要だ」と判断したものは

必ず買ってもらえた。

自分から「これが欲しい」と

言った記憶はないけれど

とても恵まれた状況で育ったんだと思う。


それが、一人暮らしを始めて

全て自分で管理しなければ

生活が成り立たなくなった時から

ささやかでも

「これくらいあれば大丈夫」

そいいう安心感の確保が必須になった。


ないから我慢するのは嫌なのに

困っても親や友達にSOSを出せない性格。

自分でなんとかしようと思うあまり

先々を心配して

不足のないようにと補充に神経を使う。


お金もそうだった。

アルバイトのお給料やお年玉は

すぐに使わず

通帳に貯金していた。

足りなくて困った体験は

嬉しい、楽しいことよりも

ずっと記憶に残ってしまう。

いつだって

私の頭の中には

「何かあった時のために」

そんな考えが定着していた。

不安からの解放

私は本を読むことが何より好きだ。

その中で

暮らしをテーマにしたエッセイを

好んで読んでいた頃

昔の人の暮らしや

もののない時代の生活の知恵などを

知る機会があった。


「あったものが無くなる」

「便利なものがなくなって不便」

そんな不安が見当違いかもしれない。

初めから「無い」状態の人たちが

あるもので工夫したり

何か作り出したりしながら

幸せに生きている様子を見て

そう思った。


今回のコロナの影響でも

街中の除菌用品が不足状態

マスク欠品中

こんな文字を目にした時

それほど危機感を感じなかった。

もともと

マスクは家にある布やハンカチで

作っていたと母から教えられる。

そもそも昔、

除菌用のウェットティッシュや

ハンドソープなんてなかった。


無いとか、足りないなら

何か代用できるものを考えたり

自分で工夫して乗り切ること、

そういうアイデアをどんどん考えると

ちょっと楽しくなる。


大切なのは

「自分の頭で考えること」

つい最近、アフターコロナの

セミナーを受講した。

その中でも

今回のコロナ騒動に限らず

「どんな状況になっても大丈夫」

自分になることが大事だと教えられた。


自分の軸をしっかりと持つこと

それは

どんな小さなことでも

自分で考えて、自分で決めることだ。

それができると

不足の事態になっても

周りの情報に振り回されなくなる。


いつも自分の目先の「不足」に

不安を感じていた私は

この視点を持つことで

新しい考え方ができるようになった。


無い不安から解放されたら

余計なものを買わなくなる。

自分にとって本当に必要なものも

わかってくる。

それが安心に繋がるし、

日々の暮らしも穏やかに過ごせる。


この記事が、見えない未来に

漠然と不安を抱えている人の

参考になったら嬉しいです。

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