こんにちは pataです
最近のお気に入りは
「note」というプラットフォームを
お散歩すること
そこで気づいたことを
「相性」をテーマに書こうと思います。
いいなと思う人は
自分も文章を書きながら
人の綴った文章も
たくさん読んでいます。
そこで
この人の表現っていいな
なんだか気になる
そう思った人は
大体、同じ気質の人なんですね。
アカウントや
記事タイトルにHSPと
書かれていないけど
文章の中にさりげなく
自分が HSPだと
明かしてしたりするんです。
自分がいいと思うものは
自分の意識の中に
あるものだけなのかもしれません。
HSPさん同士が惹き合うのは
会ったこともない人なのに
とても近い存在に感じるのは
どうしてだろう。
それは
「わかる」から始まったのかも
しれません。
例えば
その人が自分の好きなことを
発信しているとして
そのこと自体は
私の興味とは合わないのに
どうして好きか
どんなところが好きか
そういう感じ方の部分で
深い共感を感じることがあります。
「見えるもの」では
共通点がないのに
「見えない領域」で
繋がれる感じがするんです。
前々回の記事で
お世話になった人と死別したことを
書きました。
この人とも
同じ感覚だったように思います。
言いたいことを言うし
そのせいで反感も買うし
経営者然として振る舞っていたけれど
誰も気づいていなかった繊細さを
私は感じたんです。
だから
私と話している時の彼女は
自分の心細さや
不安な気持ちを隠さず出してくれた。
私の気の強さを知っていたのも
彼女だけだったし
私が引き合うタイプのお客様を
外れることなく合わせてくれるのも
彼女だけだった。
お互いに
見えないもので繋がっていたのかも
しれません。
自分の足りなさを補うように
磁石みたいにくっついたのかな。
相性という型にはめない
自分がいいと思う人って
条件みたいなものではなく
その人の根っこの部分が
優しいことが決めてだと思います。
表面に出ている部分は
強気だったり
言葉がきつかったりしても
それは
もしかしたら
自分の弱さを隠すための
「よろい」なのかもしれない。
隠していても
隠しきれなくて
ポロっと出てしまうのが
優しさかな。
それを感じ取れるのは
HSPという気質を持った人だけなのかも。
他の人がよく言わない人でも
なんだか放って置けないって
思ってしまうのは
本当は優しいのに
それを表に出せない不器用さを
感じるから。
終わりに
自分以外の人と
わかり合うって難しいです。
全然タイプが違うのに
私をいいと思ってくれる人をみて
どうして?って思うことも
いっぱいあります。
でもそういう人たちは
繋がることで
安心するのかもしれません。
不安を抱えているのに誰にも言わない。
人には弱さを見せたくない。
立場上、見せられない。
強い人であろうとする。
これほど生きづらい選択はないと思います。
みんな
「安心」を求めている。
ここなら自分を出しても大丈夫って
思える場所を探している。
私もそうだから
そういうSOSが
わかるのかもしれません。
自分の意識にあるものが
一つでも共鳴できたら
きっとその人とは
相性がいいと言えるはず。
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