100日後に死ぬワニについての考察

HSP
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こんにちは pataです

このタイトルを見て

今さらと思う人もいるかと思いますが、

私なりに考えたことを書こうと思います。

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ワニ騒動

ワニさんが亡くなった直後に

書籍、映画、グッズのPRが流れて

読んでいた人たちの批判が集まったこと。


そのツイートを読むと

みんなワニさんが亡くなったんだと

認識した後の余韻にひたりたかったと

言っている。


人は一方的に押しつけられた

誰かの考えよりも

一つの投げかけを

自分ごとに置き換えて

思い思いに想像することを

楽しみたいと思っている。

自分が入り込めるもの

そういう余白の大切さに気づかされた内容だった。

HSPの私が感じたこと

twitterは匿名で自由に発言できる場所

誰かの強い言葉が

受け取った人を傷つけることもある。


毎日フィードは速いスピードで

流れていくから

昨日言ったことさえ

遠い過去の出来事として

記憶の端から消えていく。


批判した人がとっくに忘れている陰で

受け取った人の心には

傷やトラウマが残っている。


私は自分が言われたわけじゃないのに

傷ついた人への妄想が止まらなくなる。

自分の言葉は

そうであってはいけないと

深く心に留めた。

ワニくんの件で学んだこと

SNSに限らず、

ネットにアクセスすると

毎日膨大な情報が飛び込んでくる。

人はそれを普通に受け入れているようで

胃もたれを起こしているはず。

本当はひとつのことに

嬉しいや悲しいや楽しいといった

いろんな思いを

味わいたいと心の底の方で

思っているんじゃないか。


社会の中で自分を見失いそうになったり、

多くのストレスを抱えているから。

勇気づけられたり

癒されたり

笑ったり。

そういうものを欲しているのかもしれない。

だからワニくんの100日を

あれだけ多くの人が

見守っていたんだと思う。

どんなに世の中が

猛スピードで変化していっても

人の心はずっと変わらないものなんだね。

スピードを求められるのが

少し苦手な私は

このことがわかって

少しほっとしました。

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