自分を大切にするって
つまりは自分の「感情」や「気分」を
大切にすることなんだ。
父の葬儀の時
私は義理姉と意見が食い違って
小さな言い争いをした。
その渦中では
言われた内容とセットで
それを言った「人」に対しても
怒りや不快を感じていた。
数日経って
娘にも似た現象が起きた。
上司に言われた一言にむかついたらしい。
彼女もたぶん、
言った内容とその上司という人を
セットにして怒りを感じていたと思う。
本当は
ただ、むかついた、とか
怒りが込み上げたという
「感情」だけを自分の中で味わっておけばいい。
相手にぶつける必要もない。
自分の湧き上がった感情を
押さえ込む必要もない。
ただ感じる。
私は今、怒っている
私は今、むかついている
そこに言われた内容や
言った人を入れない。
怒りの原因や
ムカつく理由を一緒に考えない。
いくらむかついたり、怒っていても
24時間も怒り続けているわけじゃない。
そうすると、その感情も
やがて終息を迎えられる。
目一杯、自分の中で
「あームカつく!」と味わうと
自然とおさまってくる。
娘も私も知っている。
私たちに嫌なことを言ったその人たちは
嫌じゃない面も持っていることを。
ただ自分が怒りを感じた時
そのことにフォーカスしているせいで
「あの時も、この時も」って
過去に言われた言葉も合わせて
怒りを増幅させたこと。
これから言われるかもしれない
嫌な言葉を
知らず知らずに
逃さず受け取ろうとしてしまっているのは
自分なんだ。
みんな違う。
自分と同じ感情、考え方を持っている人はいない。
だから「相性」がいいとか悪いとか
当たり前にあるんだ。
自分にとって100点満点の他人なんて
本当は存在しない。
違うというコントラストのなかで
関わっていくものだから。
自分の「喜怒哀楽」を
受け入れて
ちゃんと味わうことができたら
きっと
そうならないように、とか
そう思わないようにって
コントロールをかけたりしないはず。
どれも大事な感情だと思えたら
無理にポジティブになろうとしたり
落ち込んだ気分を前向きにしなければ、なんて
しなくなれる。
ちゃんと味わえば
終息できると知っていたら
もっとゆったりとした気分でいられるはず。
また嫌なことを言われるんじゃないかって
身構えなくてもいい。
怒りも大事な感情だから。
おしまい
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